今回は2020年2月22日(土) 22時10分~23時10分から放送の「激レアさん連れてきた。」に登場する松田裕美について紹介します。
毎回、変わった珍しい人を紹介してくれる「激レアさんをつれてきた。」ですが、今回は美人社長です。
今回の激レアさんは、「普通の主婦だったのに、単なるヒモを売るだけで年商7億円を叩き出す億万長者の社長になっちゃった人」です。
内容を聞いただけでは全然わかりませんね。(笑)
番組内で「ヒモ界の女神様」とも言われていました。
ではそんな松田裕美社長はどんな人なんでしょうか?
この記事では松田裕美社長についてプロフィールや経歴を紹介していこうと思います。
目次
松田裕美社長(ヒモ界の女神様)のプロフィール!
ここでは「激レアさんをつれてきた。」に登場した松田裕美社長のプロフィールについて紹介します。
松田裕美(まつだ ひろみ)は1967年8月1日生まれの53歳です。
年齢を見て驚きました!
外見が美しかったので、40代前半だと思っていました。
美魔女ってやつですかね♪
出身は長崎県で、現在は千葉県の芝原市に住んでいるようです。
結婚はしていましたが、2010年に離婚しています。
子供は3人おり、現在は一番下の子と一緒に暮らしているそうです。
ではそんな松田裕美社長の会社はどんな会社なのでしょうか?
松田裕美社長の会社は「株式会社エムズファクトリー」といいます。
社員は40名ほどだそうです。
この会社はクラフトバンド専門のネットショップを運営しているそうです。
顧客数も7万人を超えているそうです。
またその他の活動として、クラフトバンド手芸の指導者育成や制作技術の普及など、クラフトバンド手芸を広げる活動をしています。
ところで皆さんはクラフトバンド手芸をご存じですか?
ダイちゃんはこの記事を書くまで聞いたことがありませんでした。(笑)
クラフトバンド手芸は、手芸用の紙ひもを使ってカゴやバックなどを作ります。
だから松田裕美社長は「ヒモ界の女神様」と呼ばれるんですね!!
では松田裕美社長がクラフトバンド手芸専門のネットショップを運営までに至った経歴を見ていきましょう!!
松田裕美社長(ヒモ界の女神様)の経歴は?
ここでは「激レアさんを連れてきた。」に登場した松田裕美社長の経歴について紹介します。
松田裕美社長は1967年に長崎県に生まれました。
通っていた高校や大学はネット上に情報はありませんでした。
東京に上京したのは20歳のときだったそうです。
松田裕美社長は、もともとは普通の主婦でした。
クラフトバンド手芸との出会いは2002年だったそうです。
子供の保護者会であった手芸教室で初めて「クラフトバンドでカゴを作り」をしました。
そこからクラフトバンドにハマった松田裕美社長はいろいろなカゴを作っていたそうです。
松田裕美社長のカゴ作りはママ友に人気だったので、ボランティアで最初は教えていたそうです。
しかし、人気だったのでヒモの用意が追い付かなくなりました。
そこで「受講料」を貰うことでヒモを用意することにしたそうです。
これが松田裕美社長のビジネスとしてのクラフトバンドの始まりだったんですね♪
そしてクラフトバンドのビジネスとしての可能性に気づき、ネット講師にサイトを作ってもらいショッピングサイトを開設したそうです。
そしてなんと初日から7万円の収益をだしたそうです。
ではそこから年商7億円までどうやって登り詰めたのでしょうか?
その方法は「クラフトバンド」を使う人を増やすというものでした。
そのために「クラフトバンド協会」を立ち上げ、クラフトバンド手芸の講師になれる制度を作ったそうです。
そうすることで、講師となった人がクラフトバンドを求めてネットショップに集まるという仕組みだそうです。
現在は3,000人以上の講師がクラフトバンド手芸を広めてくれているそうです。
池田裕美社長の頭の良さに驚きですね!
自分の商品を売れる環境を新しく作ってしまうなんて凄いですね♪
【激レアさん】紙ひもで専業主婦から年商7億の社長(松田裕美)wikiプロフィールや経歴を紹介!のまとめ!
今回は2020年2月22日(土) 22時10分~23時10分から放送の「激レアさん連れてきた。」に登場する松田裕美についてプロフィールや経歴を紹介しました。
どうだったでしょうか?
池田裕美社長の経歴は新しくビジネスを始めてみたいなと思う人にとっても参考になる内容でしたね!
ダイちゃんもこれからの人生の参考にしたいと思います。
以前の激レアさんの放送記事も載せておきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。